気付いた時には わたし でした。
これまでしばしば、
私のことを「わたし」と捉えることがでかずにいた。
鏡の中で同じ姿で映るひとを
不思議な思いで眺めたり、
友人と他愛ない話を楽しみながら ふと
その会話を遠くに感じたり、
大きな失敗をして悲しかったことが
突然どうでもよくなったり。
わたしというひとは
私というひとを
他人のように感じることがある。
わたしの人生が他人事のように感じられることが何度も、何時でもある。
何でこんなに私に納得いっていないかって、それは恐らく、
わたしが気付いたらわたしだったためだ。
物心ついた時には、
わたしは既にわたしだった。
わたしが選んだわけでもなく、
ただ周りが私の名前を呼び 話しかけてくるから、
わたしはわたしのことを 私 と呼ぶようになった。
つまり、
わたし は知らないうちに、居た。
わたし は気づかないうちに、もう既に存在していた。
そして、その わたし が私となった。
どうもその事実が釈然としなくて、
こんな大変な思いをしながら、なんで私はわたしをしないといけないの、なんて憤慨していたんだ。
ただ、そこに理由なんてない。
わたしが私であること に始まりはあるけど、
わたしがわたしであること に始まりはない。理由もない。
そんなものだ。
わたしとは そんなものなのだ。
理由を求めても、そんなもの元からないのだから、見つかるわけもない。
理由を探すのはやめにして、
どうやら私は
このわたし というものと
一生一緒にやっていくしかないらしい。
…なんてこった。笑
そんな、をはるです。