をはる日記

感じたことを、感じたままに。

心地悪さのなかに

心が波立つような文章がすきです。


言葉の一つ一つを、噛みしめるように。

読み進めるほどに

心がざわつき、緊張するような、

深呼吸して前を向きたくなるような。



巷の自己啓発書やスキル本のように、

軽く体をなぜるものではなく、

古典や小説のように、

体にぶつかり、こころを震わせるもの。





そこに共通して描かれるのは、

「問い」なのではないでしょうか。

私たちが知らずに通り過ぎているもの、目を背けていること、

それらに光を当て、その存在を問い、明らかにしようとすること。



だからこそ心はざわつき苛立ち、

心地よくないけれど、

私たちはそこに、自分にとっての答えを探そうとします。




思うに私たちは、安易に答えを求めすぎてしまうのではないでしょうか。

情報があふれ人があふれ、

どこに正しさを求めればいいのか分からなくなってしまった時に、

拠り所を求めるのはしょうがないことです。 

だって怖いもん。


でもそれでも、

その恐怖に立ち向かい、

問いを定め、深め、調べ、答える、

その過程にこそ人間というものが現れ、

私たちは磨かれるのかもしれません。




であるなら、私は常に問うていたい。

常に問うて、考え、進み戻り進む、

そうやって日々を噛みしめながら生きてみたいですね。




まずは本を読もうかな。


小さいこと

最近自覚したことだが、

たぶん私は、プライドが高い。

というより、  「正しくありたい」という気持ちが異常に強い。


なのでしょっちゅう、「私の中の正しさ」からはずれる他人の行為を見ては、いらいらしたり、どういう考えでこんなことをするのだろう?と考えていた。



でも最近、その人たちの中にも「正当性」があってそれをしているのだろうと思うようになった。


例えば、電車の中で席間をあけて座る人。

私は他のひとが座れなくなるからしないけど、他人との距離が近いと不快、とか 体格のために窮屈、とかあるのかもしれない。


授業を適当に受ける大学生。

そこから学び取ろうと頑張れよって思うけど、

他に頑張りたいことがあるのかもしれないし、もう既にめちゃ頑張ってるのかもしれないし、そもそも頑張ることを毅然と拒否しているのかもしれない。




彼らにも彼らの価値観においての正当性があって、私にもある。それは互いにジャッジし合うものではないし、ただ違うだけ。

当たり前のこと。



そこまで考えたとき、 私は何をしたくて、こんなに周りの正当性に苛立っていたのだろう?

それはきっと、

自分が正しくありたかったからなのだと思う。

自分の正しさを主張することで、自分に対する確信を得たかったのだと、思う。

不安から、心のうちで他人に攻撃をしていたのだと思う。



しぜんだ。人としてしぜんな行為だ。

だけど、ちいさい。

とてつもなく、ちっちゃい。

自分を主張することなく、包み込むうな、

そんなひとを私はすてきだと思う。

不甲斐ない。




…内省はここまで。変えてゆく。

そして疑問がひとつ。

個人の正当性と全体のそれが対立したとき、どちらが優先されるべきなんだろうか。それは、何をもって決められるんだろうか。

考えてゆきたい。


ブログを始めたいと思いました。

こんにちは、はじめまして。

をはるといいます。

現在、日々をゆったりと過ごしている大学4年生です。

 

この度ブログを始めてみることにいたしました。

自分のふんわりとした考え事を、表現する場がほしかったからです。

hibinokeiko.blog.jp



ヒビノケイコさんのように、読んでいてその人となりが感じられる、

そんな言葉を紡いでいけたらと思います。

 

 

というわけで、ここでひとつ、自己紹介。

名前:をはる

現在:就活を終えた大学4年生、キャリア育成に関心高め。人事・人材の分野を知りたいです。

好きなこと:散歩、人と話すこと、プリン

大切にしたいこと:アツく、賢く、社会的であること(目下修行中)

 

 


そんな感じです。

これからよろしくお願いします^^