をはる日記

感じたことを、感じたままに。

小さいこと

最近自覚したことだが、

たぶん私は、プライドが高い。

というより、  「正しくありたい」という気持ちが異常に強い。


なのでしょっちゅう、「私の中の正しさ」からはずれる他人の行為を見ては、いらいらしたり、どういう考えでこんなことをするのだろう?と考えていた。



でも最近、その人たちの中にも「正当性」があってそれをしているのだろうと思うようになった。


例えば、電車の中で席間をあけて座る人。

私は他のひとが座れなくなるからしないけど、他人との距離が近いと不快、とか 体格のために窮屈、とかあるのかもしれない。


授業を適当に受ける大学生。

そこから学び取ろうと頑張れよって思うけど、

他に頑張りたいことがあるのかもしれないし、もう既にめちゃ頑張ってるのかもしれないし、そもそも頑張ることを毅然と拒否しているのかもしれない。




彼らにも彼らの価値観においての正当性があって、私にもある。それは互いにジャッジし合うものではないし、ただ違うだけ。

当たり前のこと。



そこまで考えたとき、 私は何をしたくて、こんなに周りの正当性に苛立っていたのだろう?

それはきっと、

自分が正しくありたかったからなのだと思う。

自分の正しさを主張することで、自分に対する確信を得たかったのだと、思う。

不安から、心のうちで他人に攻撃をしていたのだと思う。



しぜんだ。人としてしぜんな行為だ。

だけど、ちいさい。

とてつもなく、ちっちゃい。

自分を主張することなく、包み込むうな、

そんなひとを私はすてきだと思う。

不甲斐ない。




…内省はここまで。変えてゆく。

そして疑問がひとつ。

個人の正当性と全体のそれが対立したとき、どちらが優先されるべきなんだろうか。それは、何をもって決められるんだろうか。

考えてゆきたい。